昨日のNHK「クローズアップ現代+」では、
ロシア軍の攻撃が激しくなってもウクライナに残る人たちの
「闘い」を紹介していた。
ある人は民間人だけれど銃を持ち、
ある人はジャーナリストとしてカメラを持つ。
ある人は音楽家としてバイオリンを奏で、
ある女性はウクライナ軍の兵士たちへの炊き出しを行い、
ある大学教員は高齢者や取り残されたペットたちを守るために
買い出しのボランティアを行っていた。
たとえ軍人でなくても、それぞれの「闘い方」はある。
侵攻、総攻撃、民間人の闘い、それらのフレーズを
耳にして、私は沖縄戦を思い出さずにはいられなかった。
沖縄戦は「民間人を巻き込んだ」戦いとして知られている。
とくに首里陥落後、軍が南部へと撤退したことで
多くの民間人が犠牲になった。
それは事実だ。
今のウクライナと同じように、高齢者や持病を持ち、
避難もできないまま取り残された人もいただろう。
しかし一方で、侵攻してくる米軍に対し、
日本軍と共に戦って沖縄を守ろうとした人々もいた。
現地召集の若者、鉄血勤皇隊の少年たち、
ひめゆり学徒をはじめとする少女たち。
沖縄の戦後の窮屈な言論空間の中でも、
彼らはポロっと本音をもらす。
「あのときは、日本の兵隊さんたちと共に
私も戦うのだと張り詰めた心持ちでいました」と。
また日本軍は、米軍上陸前から沖縄県民に避難を呼びかけていた。
しかし地元を離れたくない、そして軍隊と共に行動したほうが
安心だと思っていた人々も少なくない。
「民間人を巻き込んだ」とか「民間人が巻き添えになった」と
いう沖縄戦の枕詞は、その意味において正確とは言えない。
今のウクライナで、地元に残って闘おうとする人々は、
「かわいそうな人々」だろうか。
海軍の沖縄根拠地隊司令官だった大田實中将は
自決前に「沖縄県民かく戦えり」と打電している。
ウクライナ国民、かく戦えり、だ。
そしてまた、沖縄戦で「民間人が巻き添えになった」と
日本軍を非難する人々は、気づいているだろうか。
それはウクライナに侵攻したロシア軍ではなく、
懸命に抵抗を続ける今のウクライナ軍を非難するようなものだ。
そう考えると、戦後日本の言論空間のいびつさが浮き彫りになる。
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